日本女子バレー界では、歴代スタイルの良い選手やアイドルにも負けないビジュアルをもつ、綺麗な選手が数多くいます。
有名な選手でいうと日本代表にもなった、木村沙織選手、狩野舞子選手、古賀 紗理那選手など皆様もご存じかと思います。
そんな、日本女子バレー選手の中でも1,2を争う美人アスリート野中 瑠衣選手をご存じでしょうか?
圧倒的なビジュアルとスタイルの良さからSNSを中心にファンの間で話題になっています。また所属するチームではスターティングメンバーとして活躍しており、2023年度には追加登録で日本代表にも選出され、第22回アジア女子選手権大会に出場しており、今後、日本の女子バレーボール界を引っ張っていく選手として期待されています。
今回は、そんな野中選手について詳しくご紹介したいと思います。
それではいってみましょう!
田中瑠衣選手 wikiプロフィール
13 野中 瑠衣:日立Astemoリヴァーレ (hitachiastemo.com)
名前 | 野中瑠衣(のなか・るい) |
ニックネーム | ルイ |
年齢 | 22歳 |
生年月日 | 2001年8月3日 |
出身地 | 秋田県秋田市 |
出身高校・大学 | 宮城県立秋田北高校 |
身長・体重 | 177㎝・67㎏ |
血液型 | O型 |
ポジション | OH(アウトサイドヒッター) |
休日の過ごし方 | 温泉、映画・ドラマ、読書 |
よく聞く曲 | たましいの居場所/マカロニえんぴつ |
誕生〜少年期
秋田県秋田市出身。二人兄弟(兄)の末っ子。
父親が、野球一筋の人だったらしく、野球の塁を進むように一歩一歩、歩んでいったほしいということから「瑠衣(るい)」と命名されました。
父親の影響もあってか、バレーをしていなかったら、野球のマネージャーもしてみたかったとか。。。
小学校3年生の時に、クラブチーム(秋田ブレイザーズJr)の監督に誘われたことをきっかけにバレーボール人生がスタートしました。
地元・秋田の体育館「CNAアリーナ☆あきた」でランニングをしていた時に声を掛けられましたが、その時はバレーボールの存在すら知らなかったようです。
小さいころから水泳を習ったり、バスケットボールをやったり、体を動かすのは好きだったようです。
父親の影響で野球をやりたいとも考えおり、実際には、何をしようかと迷っていた時期にタイミング良く、地元のバレーボールのクラブチームから誘われました。
その後、小学生の時に全国大会出場を経験しています。
当時、憧れの選手は木村沙織選手だったようで代表の試合があるとテレビに釘付けで、木村選手のプレーを参考にしてたようです。気が付いたらフォームまで瓜二つになってしまったようです。
こうやって見るとほんと似てますね(笑)
その時に「エリートアカデミーオーデション」にも参加したことで、刺激を受け、日本代表を意識するようになります。
「小学6年生の時に全国小学生大会に出場し、東京体育館で試合をしていた際に日本バレーボール協会の関係者の方々に声をかけていただき、大会後に実施される『エリートアカデミーオーディション』に参加することになりました。そこで刺激を受けて、日本代表が”目指したいもの”になりました」
女子バレーのユース日本代表で石川真佑らと戦った野中瑠衣 夢のA代表入りに「え、私でいいの?」 (2ページ目) | web Sportiva (shueisha.co.jp)
中学~高校時代
中学は、地元の秋田市立泉中学校に進学します。
中学時代には2年生の時にジュニアオリンピック(JOC杯)で優秀選手賞に選ばれ、3年生の時にはオリンピック有望選手として全日本ユース合宿に召集されました。さらに第11回アジアユース女子選手権大会U-18のメンバーに選出されています。
高校進学の際には、進路に相当悩んだらしく、地元の高校か県外の強豪校か迷っていたのですが、最終的には野中選手本人が地元の高校(秋田県立秋田北高校)に行くことに決めたようです。
ただ、強豪校に行くことも相当悩みぬいた末での決断であったため、地元高校でのバレー生活に対して様々な葛藤があり、反抗的な態度をとっていたようです。その時の様子をインタビューで次のように語っています。
「2年生になるまで、ずっと『転校したい』と口にしていました。環境や人間関係も含めて、『ここに来たかったわけじゃない』と思ったり……今振り返ると、すごく嫌な生徒だったと思います。めちゃくちゃ反抗的な態度をとっていましたし、『こんなはずじゃなかった』という目つきをしていたと思います」
女子バレー日本代表・野中瑠衣の高校時代は「反抗的だった」 それを変えた恩師の言葉とは? (2ページ目) | web Sportiva (shueisha.co.jp)
そんな反抗的な野中選手に、バレー部顧問の戸嶋幸子先生が『自分で選んで、自分の足で瑠衣はここに来た。ここでどう生きるかは、瑠衣次第だよ』とアドバイスしてくれました。これによって人のせいにしてたけど、ここに来たのは自分だという考えに変わっていったようです。
高校生の時にもアジアユース女子選手権大会に召集され、国際大会も経験しています。
🧚🏻♀️(@wonderjjang_)さん / X (twitter.com)
なお、この時に同じく、石川真佑選手や山田二千華選手、中川つかさ選手など、のちにA代表に入る選手がメンバーとして召集されており、当時の強豪校の個性の強いメンバーの中で刺激を受けながら、お互い切磋琢磨していたようです。
ただし、野中選手は、U-19、20には選出されず悔しい想いもありましたが、冷静に受け止め「自分は自分」と言いきかせ、日本代表への想いを胸に秘め、日々、練習に励んでいたようです。
社会人時代
高校卒業後、日立Astemoリヴァーレへ入団します。
日立Astemoリヴァーレ 公式(@Hitachi_Rivale)さんのメディアポスト / X (twitter.com)
高校卒業後の進路としては、大学進学も考えていたようです。
家系に教員が多かったようで、将来的に教員免許を取りたいということもあって、野中選手のお兄さんも入学した筑波大学に進学したいというところまで具体的に考えていました。
ただ、日立Astemoリヴァーレにも高校時代にお世話になっていたため、大学進学と就職(実業団)半々の気持ちだったようです。
そのような中、『教師になりたいわけじゃないなら、大学に行く必要はないんじゃない?』とお兄さんからアドバイスがあったようで、最終的に日立Astemoリヴァーレに入団することに決めました。
現在ではチームの中心的な存在で試合でも大活躍し、また、そのビジュアルの良さからとても人気があります。日立Astemoリヴァーレの公式X(旧twitter)にも登場しています!笑顔が素敵で可愛いですね!
日立Astemoリヴァーレ 公式(@Hitachi_Rivale)さんのメディアポスト / X (twitter.com)
野中 瑠衣選手 家族について
ネットで調査しましたが、具体的に出ているのはお兄さんの情報のみで父親、母親その他の兄弟についての情報はありませんでした。
お兄さんは元BCリーグ・茨城アストロプラネッツの野中大輝選手です。
何となく、野中選手の面影があるような、笑った感じが似てますね。お兄さんも187㎝をかなりの長身のようです!
父親については、具体的な記載がありませんでしたが、お兄さんを紹介したXで「父同様に左の強打者」と記載あるので、秋田の野球界で有名な方なのでしょうか?「家系が教員が多く・・・」と記載があったおで、ご両親の職業は教師である可能性が高いと思われます。
弟がいる情報もネットにありましたが、定かではありません
これについてはまた情報が上がり次第、アップしていこうと思います。
野中 瑠衣選手 彼氏について
ネットでいろいろと調査しましたが彼氏の噂などありませんでした。
現在、夢であった日本代表にも選出され、選手として非常に大切な時期であり、トレーニング、遠征、試合など忙しい時期かと思います。以上のことから、彼氏がいない可能性が高いと判断します。まずは、バレーに打ち込むといったところなのでしょう。
ただ、こんなかわいいバレー選手をほっとくわけないと思いますので、小さいころからモテていたでしょうし、男性からは声がかかることもあったかと思います。いろいろと調査しましたが、確信のある情報はネット上にありませんでした。
何か情報が入り次第、掲載したいと思います!
野中 瑠衣選手のかっこいい画像やかわいい動画・画像
あまり、私服を着ているところを見かけませんがインスタに私服姿があったので紹介します。かわいいですよね。アクセサリーが可愛いです。ユニフォーム姿とは違った魅力がありますね!二十歳過ぎとまだ若い野中選手ですが、落ち着いた雰囲気もあり魅力的です。
成人式の晴れ着姿の前撮り画像もありました。とてもきれいな振袖ですね!
試合中は、クールな表情もありながら、喜ぶときは全力で喜ぶ姿がかわいいです!好感をもてます!
XユーザーのLiberoArea 18さん/ X (twitter.com)
Xユーザーのしみみんさん / X (twitter.com)
AKT秋田テレビでのインタビューの模様です。表情豊かで可愛いですね!
最後にYoutubeで野中 瑠衣選手の魅力についてまとめている動画ありましたので、ご覧下さい。
いかがだったでしょうか?女子バレー界で1,2を争う、その美貌、スタイル、またプレーでファンを魅了する野中 瑠衣選手!
日本代表にも追加召集され、まだ若いので今後の日本女子バレー界を牽引する存在になること間違いなしです!
今後も注目していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうごあいました。